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ナルンド(佐原 成人)ヒストリー

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ナルンド(佐原 成人)ヒストリー

ナルンド コム アカデミー主宰・佐原 成人のこれまでについて、詳しくご紹介していきます。

「一億総中流」といわれた時代に育った私

振り返ってみれば、学校で誰かと比較されて、人より勝ることに優越感を覚えることを叩き込まれたように感じます。席次・偏差値・相対評価で育った幼少時代。「金魚の糞になるな」「人を押しのけて先頭に立て」「性根」なんて言葉を両親からよく言われました。学業成績がよく、野球で優秀な子がスターだった時代です。収入・金銭が多く安定している職業が「上流」と定義づけられていました。「中流」家庭の親は自分の子どもをなんとか「上流」に持っていこうと願う。自分もそんな平凡な家庭で育ちました。

高校時代、空中分解を経験

私が入学した高校は野球とサッカーの古豪。どちらも全国優勝していますが、私の入学当時はすでに名門ではなく「古豪」です。そんなサッカー部のいち部員の私の立ち位置は、ムードメーカー。プレーではなくチームのムードづくりを期待されていました。
一つ上の代は大阪代表を狙える最後の学年。土日祝日はそうそうたるOBが練習を見に来ていました。そんなふうに期待されていたのに、準決勝敗退。OBから見捨てられた新チーム。期待もされず、まとまりもありませんでしたが、どうにかこうにかして大阪4位で近畿大会へ出場します。
そんな時期に部員が 「やんちゃ」を起こしてしまいます。近畿大会出場辞退の話まで出ました。野球部であれば間違いなく対外試合禁止です。チームはバラバラに崩壊。公式戦の最中に、味方同士罵倒し合う。部室ではしょっちゅう喧嘩。「お前が悪い」「お前のせいで」――ムードメーカーの役割を担っていたのに、私は何もできませんでした。キャプテンが悩み、学校を休み、放浪の旅に出てしまいます。
そんなふうに「中流」の家庭の子が、「上流」への期待をかけられながら、高校・大学を卒業していきます。

入れるはずのない会社に就職

コネもなく英語も話せないのに、なぜか航空会社に入社します。これが、勘違いの始まりです。「体育会所属」それだけで優遇された時代でした。分かっていませんでした。航空会社の地上職といえども、金融やメーカーに就職する人たちとはちょっと違う優越感を持っていました。同期に負けたくない、出世していこうという気持ちもありましたね。あのころのあのマインドは、なんだったのでしょう。

世間知らずの35歳独身が、航空会社を早期優遇退職

「大きなことができるはず」「認められたい」そんなふうに思い、常に他人の目を意識していました。「そうだ、早期優遇退職だ!ここでやるぞ!」と手を挙げ退職。今思えば単なる世間知らず、あまちゃんです。お世話になった航空会社の上司・同僚に対して、何も感謝できていませんでした。

37歳独身、母の突然の死

航空会社退職後に達成感もなくモヤモヤしていたころ、母のC型肝炎が再発します。治療するには手遅れの状態だったので、私が「自分の肝臓を移殖する」と伝えたところ、「そんなことは絶対するな」と言われます。妹は不治の病。そんな家庭状況の中、酒に走る父。私は転職を繰り返し、酒ばかりを飲んでいる日々でした。

人間関係は常に不器用

どの時代をとっても、人間関係がうまくいっていた時期はありません。我慢に我慢を重ね、緊張の糸が切れてプッツーン。そんな感じです。相手の意見を認めつつ、自分の意見を述べる(アサーション)ことがとにかく下手でした。

なぜかカウンセリングに興味を持つ

今をもって、なぜだかは分かりません。キャリアカウンセラーの講座に通い、GCDFキャリアカウンセラーの資格を取得。覚えているのは「R-CAP」という適性診断で、職種「人事」の適性が飛び抜けていたことでした。

千葉県成田でのある場面(なぜかまた体育会系を意識?)

住まいにほど近い場所で、焼き鳥屋がオープンしました。開店当初は、焼鳥を焼いていたある大学の野球部4年生とだらだらお喋り。通い始めて4回目あたりだったか、その学生の後輩(バレーボール部2年生)が接客としてアルバイトを始めます。怪我でバレーボール部を休部していて、部活に戻る気はない。彼女はインターハイで全国優勝を果たしていて、鳴り物入りで大学に入学していたのです。しかし部活はおろか、学校の授業にも出ていない。私も悲しいけど、先輩である4年生はもっと悲しい。何もできない私。「何のためのキャリアカウンセラー!」と歯がゆい思いをしました。

「雇われて生きる世界」から「なりたい自分」を目指し大海原に

現在は、コミュニケーションの取り方を伝え、その心の在り方を伝播させることを職業としています。この役割を神から授かったと認識し、職業人生の終焉まで邁進していく所存です。

プロコーチとしての認定(人の力を引き出すコミュニケーションスキル「コーチング」のプロに)

意識したコミュニケーションを取る人を、1,000人、1万人、10万人、100万人と増やしていきたいです。
今は大阪で、妻・妻の母と3人で幸せな暮らしをしています。家族一緒に暮らしていること、これこそが何にも代えがたい幸せであると、日々感じています。

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